プロ野球を本当に好きにさせてくれた星野仙一!ありがとうさようなら!
テレビを見ない俺。星野仙一の悲報はネットのニュースで知った。
小さいころはプロ野球が盛んであったが、阪神がいい、広島がいい、などと毎年好きな球団がころころと変わっていた。つまり本当に好きな球団などなかったんです。ただ長嶋茂雄は大好きで本を何冊か買って読んでいたくらいです。しかし長嶋は好きだったが巨人は嫌いであった。こういう人は少なくなかったようです。
「巨人は好きでないが長嶋は好き」このフレーズは何回か聞いたことがあります。
本当に好きになった中日ドラゴンズ
そんな中、中日ドラゴンズの投手に星野仙一というピッチャーがいることを知る。最初は熱血漢で面白いキャラクターくらいにしか思わなかったが登板するたびにわくわくするようになった。そして読売巨人に対して異様なまでに闘志を燃やすことがさらに俺を熱くさせた。そして中日ドラゴンズが好きになり星野仙一だけでなく中日の選手が次々に好きになっていった。
俺はあまのじゃくだったんですね。他人が好きの物を同様に好きになるのが嫌だった。だから巨人だけは好きになったことがない。そんな巨人に対して闘志を燃やす星野仙一がたまらなく魅力的に思いました。
思い出すだけでも名場面がいくつかある
乱闘騒ぎ
星野仙一と言えばなんといっても他球団との乱闘。選手時代も監督になってからも乱闘になると先頭をきって出ていく。むしろ監督時代のほうが印象深いです。これは半分は本気で、半分は選手に先頭をきっていく姿を見せつけるパフォーマンスではなかったかと思っている。ああいう場面で監督が真っ先に出ていくのは選手を引っ張るうえでとても大事なこと。口で言うのと自分が先頭に立って行うのとでは士気の高まりが違います。
天下の王監督にも拳を振り上げる(もちろん殴ってはいません)
宇野選手のヘッディング事件
星野仙一と言えば「打倒巨人」で相手が巨人の時には滅茶苦茶燃えてました。
これが起きたのは巨人が連続試合得点が続いていた、つまり無得点で終わった試合が無い状態が続いていて星野仙一は「俺が止める」と非常に燃えていたときのことです。野球は攻撃と守りが9回まで行われます。星野仙一が投げていた試合、その7回まで無得点でいて『今日はいける』そう思っていたと思います。リアルタイムで見ていた俺も期待に胸を膨らませていたんです。二死一塁の場面でショートへの内野フライ。「この回も守った」そう思った瞬間にショートの宇野選手がおでこへボールを当ててしまいレフトへ転々と・・・
走者はホームまで生還し無得点試合が崩れてしまったのですが星野仙一はグラブをたたきつけて悔しがります。これは後々まで「好プレー珍プレー」などの番組で何度も放送されました。
出典:宇野ヘディング事件
残念ながらこの後の星野仙一がグラブをたたきつける瞬間は出てきません。
1対4のトレード
このことを聞いたのが車の中のラジオだったことも覚えているくらいなのでとても印象に残っている出来事です。
当時ロッテで三冠王まで獲得した落合。その落合が俺の好きな中日にトレードで来るという。しかしその内容は驚くべきものだった。落合1人に対して放出する中日の選手は4人もいる。1対4のトレードなんて聞いたこともなかった。そしてその中に中日では大活躍していた牛島選手もいる。落合と牛島の1対1のトレードでも釣り合うじゃないか!そう思いました。
星野監督は牛島選手をとても贔屓にしていたと記憶しています。出ていく牛島選手もつらかったと思いますが星野監督もつらかったのではないでしょうか。なかなかできる決断ではなかったと思います。
【12月23日】1986年(昭61) ロッテ、ついに落合放出 中日と1対4のトレード発表― スポニチ Sponichi Annex 野球
実は星野仙一はドラフト1位で巨人に入ることが確約されていた
ドラフト指名で星野仙一は巨人からドラフトで1位指名をすると言われていたんです。しかし当日に巨人はそれをしなかった。それが星野選手が「打倒巨人」の原動力になっていたと言われます。もしかしたら最初はそれで闘志を燃やしていたかもしれませんがいつまでも引きずるような人ではない。根に持っていたわけではないと思います。
監督としても優秀
俺は中日時代の選手として、監督としての星野仙一が好きでした。しかし経歴としてはその後監督として
弱かった阪神を優勝に!
弱かった楽天を優勝に!
すばらしいです!
星野仙一が中日を離れてしばらくは中日を応援していたが今はプロ野球選手もほとんどわかりません。シーズンが始まっても順位すらわかりません。去年おととしの優勝チームも知りません。
でも若いころの俺をプロ野球に夢中にさせてくれたのは間違いなく星野仙一さんです。
星野選手ありがとう!
星野監督ありがとう!