福島に行ったら東日本大震災を思い出した
先日『外出禁止をくらってる』と書いたばかりだけど出張がありました。車で福島へ。
東北へはかみさんと仙台へ4年ほど前に、仕事で同じく仙台へ2年ほど前に車で行ってます。
今回も車で行ったのですが目的地が海沿いなので常磐道という高速道路で行きました。
4年前、2年前の仙台の時は東北道だったので海からは離れていた道路だったけれども今回通った常磐道は海沿いということで、ところどころに『現在の放射線量』の表示があるんです。東日本大震災での原発事故により出来たものでしょう。
「○○SAまで○km」とか
「現在の気温○℃」とか
と同じようなパネル表示です。
走りながら助手席で写真撮ってみたけれども載せられるようなものは1枚も撮れませんでした。
代わりにSAにあった一覧がこちら↓
一番数値の高いところは行きも帰りも3.3マイクロシーベルトありました。
俺はド素人なので放射線量についてあーだこーだ語ることは出来ません。でもあの時の被害は甚大で報道を見るたびに心が痛みました。
向こうで聞いたところによると今でも居住禁止区域もあるようです。つまり今でも自宅に帰れない・自宅に住めない人がいるということです。
車で走っていてもビニールを大きくかぶせてある物がたくさんありました。聞けば放射能を浴びた土などが今でもそのままビニールをかぶせたままの状態であるということです。処理できずにいるんです。
さらには馬や牛が見えたのですが布のようなもので覆ってあって、露出しているのは顔と足先だけなんです。
被害地域から離れて暮らしている俺にはわからなかったことですが過去のことではないんですね。その地域の人は今でも抱えている深刻な問題なんです。
あの事故は絶対に風化させてはいけないことだとあらためて感じました。
当時、自分にお金と時間があればボランティアで行って手伝いたいと本気で思いました。自分の時間とお金を削って現地でお手伝いをした人たちには頭が下がります。
3.11の日
その日何をしていたか。
俺は仕事で客先の名古屋にいました。高いビルの5階。揺れに揺れました。ここが震源地なんだと思ったくらいです。
同じ会社の人間が、客先は違うが同じく名古屋に来ていてすぐに俺に電話をくれたんです。
「ホテル取っておきましょうか?」
いやいや、俺今日帰るから~
「新幹線動かないでしょ?」
え???
そうです。地震があってもあんなに甚大な被害だなんてまったく思わなかったんですね。本当にその日のうちに帰りたかったんだけれども結果的にホテルを予約してもらって正解でした。
新幹線は動かないしホテルに着いた頃にはどこも満室。次から次へと「空室ないですか」って人が来るんですけど断れまくられてました。
次の日、朝一番の新幹線で帰ったのですがその後が悲惨!
在来線がまったく動いてないんです。なんとか上野まで来たけれどもその後身動きが取れない状態が延々と続きます。人もあふれかえっています。
幸い近くに住んでいる友人に連絡が取れ車で3時間以上かけて同僚と2人を家まで送ってもらいました。
会社では
次の週に会社に行っていろいろ聞いたらこちらも大変だった様子。
当日はやはり在来線は全面ストップで電車は動いていない。面倒見のいい、もう定年過ぎた人が電車通勤の人たちを送って行ったらしいのですが本人は自宅に帰れたのが朝の4時だったということです。
その後も・・・
その後も通常に戻るまで長く時間がかかりました。
身近なことだけ言いますが
・食料不足(スーパーがらがら)
・ガソリン不足(車が行列)
・計画停電(お店に電池も売ってない)
あまりリアルなことは言いたくないので自分に関係することだけにとどめておきます。
しかし今回福島に行って【あの事故はまだ終わってない】と言うことがよくわかりました。
最後に今回買ってきたおみやげ
うちのかみさんから『絶対に買ってこい』とのMISSION発令!
柏屋さんの薄皮まんじゅう(つぶあん)
新あずきヴァージョンがありました!!!